barbara

うさくんアップ

来る年を迎えるにあたり 来年の干支=兎にちなみ

ちぃさな ちぃさな 置物を入手しました。

全高約6cmのうさ君です。←かってに名ずけてる(///^^///)ゞ


うさぎ置物2

うさぎ置物1



さて、おすすめ音楽です~♪

オークションでクラシックの3枚組のあるブツを落札しました、1280円(安い!)

が、しかしですね・・・出品者さんから取引ナビで連絡があり

ブツが捜しても見つからないとのこと><

んで、おわびに送って来たのがバルバラのCD

以前、一度この出品者さんからフレンチを落札したのでフレンチ好きと読まれたかなぁ?

BARBARACD

シャンソンの大御所バルバラ 私も大好きでさっそく聴いてみました。

ところが 欠陥がみつかりました><

曲順がタイトル通りじゃ ナカッタ のです。

全12曲 それはキチンと入ってました、ただただ順番だけが違うのです。

正しい曲順は             今回届いたCD
1、我が麗しき恋物語         サンタマンの森で
2、サンタマンの森で         パリとゲッティンゲン
3、パリとゲッティンゲン       死にあこがれて
4、死にあこがれて          ナントに雨が降る
5、ナントに雨が降る         孤独のスケッチ
6、孤独のスケッチ          我が麗しき恋物語
7、黒いワシ             黒いワシ
8、小さなカンタータ         小さなカンタータ
9、ピエール             ピエール
10、黒い太陽            黒い太陽
11、孤独              孤独
12、ブルネットの婦人        ブルネットの婦人

元になる曲そのものを知っていると 間違いに気づきます。

知らないで、聴いている方が幸せなのか?

でも、間違って曲を覚えたら困ることにならないか?

レコードからCDに 焼いた時にどこかで間違えたんでしょうね。

音質そのものには満足していますし 買った商品じゃなく

おわびで送られて来たCDだから、追求し相手を困らせてもダメだしなぁ

あくまで好意で 送ってくださったんだから

笑ってすませることにしときましょう~♪

BARBARALP

35年前に購入したLPコレクションのなかの1枚・・・これ中身おんなじなんですよね。

だから、間違いに気づきました。(日本フォノグラム1975年のLPです。)

彼女の代表作『黒いワシ』


ブルネットの婦人


ブルネット・・・は歌詞をムスタキと共作し、彼女が作曲しました。
                               以上
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テーマ : おすすめ音楽♪
ジャンル : 音楽

コメント

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うさぎ

うさ君かわゆし♪

年賀状作らないとなぁ・・・

Re:うさぎ

源さん^^おはよ~♪
かわいいでしょぉ~♪

私は年賀状出すのを止めたから 苦労はないのです、
が、来る楽しみもナイ!!

No title

ご無沙汰しています。私もバルバラは好きです。このエピソードはご存知かもしれませんが、あえて書きます。彼女は、小さいときナチスによって収容所に入れられ、そこで母をなくしています。ドイツに対して、ずっと憎しみの感情を抱いていたことは容易に想像がつきます。彼女が世界的な歌手になって、ある日ドイツの大学から招待を受けます。彼女は随分悩みましたが、学生の熱意に動かされて招待を受けることにしました。ドイツに着くと、ずっと部屋に閉じこもりっきりでした。当日彼女が舞台にたったとき、会場から割れんばかりの拍手が沸き起こったそうです。(ひょっとしたら学生たちは、バルバラの過去を知っていたのかもしれません)この時、彼女のなかで何かが弾けたのでしょう。彼女は滞在を1週間延したそうです。その後、ゲッテインゲンという歌を、フランス語とドイツ語で歌っています。バルバラを聞くとき、いつもこのエピソードが頭に浮かびます。

No title

jeanvaljeanさん^^カキコありがとうございます~♪
そちらのページ革命の佳境に入って来て緊迫した場面の連続ですね、ちょい難しいところが多々で
読み、理解して行くのにやっとの私です。
バルバラの、そのエピソードは知りませんでした、ありがとうございます。私が知ってるのは
本名モニック・セルフ。 1930年6月9日パリ生まれ、父はアルザス出身フランス人、母はロシアの
オデッサの人。バルバラの芸名は母の名をとった。15才のときヴェジネという場所のトーマ・デュスケ婦人
を訪ね、歌い方のレッスンを受ける。 そして高等音楽学校で首席となり、1947年にはレオポール・ベラン
賞を受賞した。1948年パリ音楽院の試験を受け自由聴講生となり、ポール教授のクラスに入る.
同じ年、モガドール座で上演のオペレッタ「皇帝すみれ」にコーラスの一員として参加、ベルギーのテレビ
に出演するチャンスをつかむ。
ここからは、実力あるが苦難の時代 キャバレーをブリュッセルで経営、学生の人形使いと恋に落ち
結婚し、子どももできたが2年で破局 失意のうちにパリへ舞い戻る。
57年、シェ・モアノー(雀の家)で歌い、これが歌手としてのパリデビュー。ついで左岸のキャバレー
エクリューズから声がかかり(マリー・ジョゼ・ヌーヴィルの穴埋め)これが人気を得て1958年店での
ライブアルバム発表・・・これがデビュー作品。1960年バルバラ30歳ジョルジュ・ブラッサンスの作品集
を吹き込み、そのLPでADFディスク大賞を受賞。プチ・テアトル・ド・パリのオペレッタにも出演。
長くなるので・・・この辺でとめときます。
ゲッティンゲン・・・反戦歌で平和を願った歌なんですね^^

ありがとうございました。

grahampenguinさん。詳しくありがとうございました。知らない話がたくさんありました。
ミシュレの「フランス革命史」は、難解で訳すのに苦労しています。仏文の解体作業から
始めなくてはなりません。訳文もこなれてなくて、読む方に申し訳なく思っています。
この本は日本では抄訳(中央公論文庫)が出てまして、だいたい原書の10分の1が
訳されています。英語版も19世紀に訳されたものしかなく、これも2巻までです。
全体で21巻ありますので、この調子で行くと、訳し終えるのが15年後という計算になります。
そのときには、私も80歳を超えています。気が遠くなる話です。まあ2巻ぐらいまでは
なんとか行きたいと思います。ときどき、どうでもいいような部分もありますので、そういう
ところは読み飛ばしてもらえばと思っています。今後ともよろしく。

No title

jeanvaljeanさん、おはようございます^^
翻訳物がでてたんですか、でも仏歴史なんて一部の研究対象者しか反応を示さないマイナーな部分でしょうね。
でも、やりがいを感じてらっしゃるご様子?頑張ってくださいませ^^

昨日の続きを・・・。
1960年彼女が30才やっと日の当たる場所にでてきました。ジャック・ブレルの作品を集めたアルバムを
録音し、コンセール・バクラやボビノ座などのミュージック・ホールに出演しはじめました。
とくにボビノ座では、ジョルジュ・ブラッサンスの前座をつとめ『彼女の悲しいシャンソンは、ブラッサンス
の陽気な歌をほとんど忘れさせてしまった』と報ぜられる程、センセーショナルな成功を収めました。
そしてフィリッピス・レコードに移籍しの初のLP『私自身のためのシャンソン』が、68年度のACCディスク
大賞を獲得し、バルバラの名声は確立されたのです。
69年には、オリンピア劇場に、同じく大スターとして迎えられました。
1970年、『黒いワシ』が大ヒットし、その人気はさらに高まりました。第1回東京国際歌謡音楽祭に
(現在の世界歌謡祭)ゲストとしてはじめて日本を訪れたのも、この年の11月のことでした。
・・・以上、レコードの解説からでした。(解説 永田文夫)
プロフィール

グレアムペンギン♂

Author:グレアムペンギン♂
ぷあお~でぃおで音楽、それとカメラが趣味、nya好き、最近自転車復活し楽しんでいます。


地味なブログで,内容は雑多ですが、コメントはお気軽にどうぞ。


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